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長崎地方裁判所 昭和50年(ワ)412号 判決

原告 松本昌 外一六四名

被告 福江市

主文

被告は、別紙未払給与目録(二)記載の各原告に対し、それぞれ同目録(二)未払給与額欄記載の金員(但し、原告植村広美に対する分は三、七六四円の限度で)及び右各金員に対する昭和五〇年三月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

右原告植村広美のその余の請求及び別紙未払給与目録(一)、(三)記載の原告らの請求を棄却する。

訴訟費用中、別紙未払給与目録(二)記載の原告らと被告との間に生じたものは被告の負担とし、別紙未払給与目録(一)、(三)記載の原告らと被告との間に生じたものは右原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、別紙各未払給与目録未払給与欄記載の金員及びこれに対する昭和五〇年三月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告らの請求の原因

1  原告らは別紙未払給与目録(一)の「団体交渉日時」、同目録(二)、(三)の各「年休取得日時」欄の記載の各日時当時、いずれも被告に勤務する地方公務員であつたところ、被告は、昭和四九年一二月二七日同年度給与改定に伴なう昇給差額分を福江市職員に支給した際、別紙未払給与目録(一)(以下「目録(一)」という。以下同じ)、(二)記載の原告一四八名に対し同目録未払給与額欄記載の給与を減額して支給し、更に、昭和五〇年三月二〇日同月分給与支給の際、目録(三)記載の原告一三三名に対し、同目録未払給与額欄記載の給与を減額して支給した。

2  しかし、被告のした右各給与減額支給には何ら正当な理由がないので、原告らは被告に対し、右各未払給与及びこれに対する支払期後である昭和五〇年三月二一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1記載の事実は、次の原告らに対する減額金額を除き認める。原告植村広美に対する減額金額は金三、七六四円、原告大柳光春に対するそれは金二、八二三円である。

2  同第2項は争う。

三  被告の主張

1  本件の背景

被告前市長山本巌雄(以下「前市長」という。)は、昭和四九年一〇月一日福江市産業経済課長平山久志、同課長補佐兼水産係長日高宏、同係員富田定彦、同椿山久義、同岩村光尉の五名を文書訓告したが、これは、同年七月実施の漁港港勢調査事務につき富田ら係員三名が上司の職務命令を受けながらこれを拒否し調査事務に従事しなかつたため行われたものである。

港勢調査は、昭和三六年以降毎年七、八月に全国的に実施される水産庁の調査で、漁港毎に漁業従事者人口、漁船数等についての動向調査を行い、水産関係諸計画の基礎資料とするものであるが、右富田定彦らは、昭和四九年七月上旬港勢調査を命じられたにもかかわらず、右事務は日高係長が処理すべきであると主張してこれを拒否した。そこで七月一三日以後数回に亘り産業経済課長が、また、七月二七日及び八月一日の二度に亘り、前市長がそれぞれ富田らから事情を聴取したうえ、日高係長と協力して調査を行うよう説得したが依然としてこれに応じなかつた。

以上のとおりで、水産係員富田定彦ら三名の右行為は、地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条及び三五条に違反するものであるので、前市長は、富田ら係員三名に対しては服務上の義務違反を理由として、また、同人らの上司である平山課長及び日高係長に対してはその監督者としての監督者責任及び職務怠慢を理由として文書訓告したものである。

2  本件各給与減額について

(一) 目録(一)記載の給与減額について

ところが、原告らの所属する全日本自治体労働組合福江市役所職員労働組合(以下「市職労」という。)は、同年一〇月二九日臨時大会を開催して、富田ら係員三名に対する文書訓告撤回闘争を行うことを決定し、右闘争のため設置された闘争委員会は、同年一一月上旬闘争手段として一一月一六日始業時より一時間、同月二〇日午前中半日のストライキを行うことを決定し、同月一五日組合員集会を開いてストライキ宣言を発した。このように市職労は一一月一六日始業時より一時間のストライキを実施したが、組合員約一七〇名がこれに参加し、始業時の午前九時から九時五〇分まで職務を放棄して同盟罷業を行つた。

原告松本昌は市職労の執行委員長、原告島悟は同書記長、原告富田定彦は同書記次長として右争議行為を指揮するとともに自らも目録(一)団体交渉日時欄記載のとおり職務を放棄して同盟罷業を行つた。

そこで被告は、福江市職員の給与に関する条例(以下「給与条例」という。)一二条により右原告らに対する給与の減額を行つたものである。

右原告らは、自らの行為には職員団体のための職員の行為の制限の特例に関する条例(以下「特例条例」という。)二条一号の適用を受ける旨主張するが、地公法五五条八項の規定に基づく交渉とは同条で職員団体に認められた交渉事項につき交渉を行う場合で、かつ、交渉が同条に定める手続、方式に従つて行われる場合をいうものであるところ、一一月一六日の同盟罷業の目的とするところは職員に対する訓告の撤回要求に合わせ「課長・係長の推せん制、課長・係長以外の補職の全廃、話し合いによる民主的職場運営」を求めるというのであり、右事項が適法な交渉事項に当らないことは明らかである。また、右原告ら三名はストライキ突入の直前に長崎県職員労働組合書記長及び福江市議会議員一名とともに市長室に押しかけ前市長に対しストライキを背景に市職労の要求を認めさせようと談判したもので、右が地公法五五条に定める手続・方式に則つた適法な交渉に当らないことは明らかである。

(二) 目録(二)及び(三)記載の各給与減額について

(本件年次有給休暇権の行使はそれ自体が違法な争議行為である。)

(1) 市職労は、昭和四九年一一月上旬文書訓告撤回闘争の一環として、同月一五日と一九日の二回に亘り、被告本庁に勤務する組合員の約半数に、一五日は一日、一九日は午後半日の年次有給休暇(以下「年休」という。)をとらせるいわゆる一斉休暇闘争を計画し、各日時別に、また、各所属課毎に組合員の約半数宛の割当を行い、右割当に従つて一斉に年休をとつて職務を放棄することを指令した。右指令により一五日には本庁勤務の組合員一八二名のうち七七名が、一九日には同じく七六名が一斉に一五日は一日、一九日は午後半日の年休を請求して勤務に就かなかつたが、目録(二)記載の原告らは、同目録年休取得日時欄記載の各日時に右一斉休暇闘争に参加して勤務に就かなかつたものである。

(2) 前市長は、昭和四九年一二月二七日市職労の委員長(原告松本昌)、副委員長及び書記長(同島悟)の三名に対し免職、書記次長(同富田定彦)に対し停職六月、執行委員七名に対し停職三月の各懲戒処分を行つた。右懲戒処分は、市職労が行つた文書訓告撤回闘争に際し、二回に亘つて行つたストライキ、休暇闘争、庁外勤務拒否、職制に対する集団での違法な時間内の抗議行動等の違法行為を組合役員が企画、指導し参加したことの責任を問い行つたものであるが、これに対し、市職労は、右懲戒処分撤回闘争の手段として昭和五〇年一月一三日より一八日まで(一五日を除く)の五日間毎日組合員の約一割を動員して本庁正面玄関ホールの一部に座り込ませたが、右座り込み要員の確保については、本庁は各課毎に、出先機関については出先機関毎にそれぞれ動員の割り振りを行い、それに従つて年休をとつて座り込みに参加するよう指令したのであるが、目録(三)記載の原告らは同目録年休取得日時欄記載の各日時に市職労の指令に従つて一斉に年休をとり、この時間に右座り込みを行つたものである。

(3) 以上のとおり、目録(二)及び(三)記載の原告らによる年休権の行使は、市職労の指令に基づき争議手段として行つたもので、地公法三七条によつて禁止された争議行為を年休権の一斉行使という形態をもつて行つたもので年休としての効果を有するものではない。したがつて、目録(二)記載の原告らの年休の請求については、被告において当初承認していたが、後にこれを取消している。

(本件年休権の行使は権利の濫用ないし信義則違反であり無効である。)

年休制度は、労働者には休養と教養を、使用者には休暇後の能率増進という労使双方の利益を図ることを目的として設けられたものであるから、その行使は右の目的に合致したものであることが必要であり、そのため、年休が有効に成立するためには労使関係が正常な状態にあることが前提となる。したがつて、組合が闘争態勢に入りながら年休権を行使することにより使用者から賃金の支給を受けつつ就労を拒否することは、年休制度の本質を逸脱するものであつて、信義誠実の原則に反し権利の濫用となるといわねばならない。

ところで、目録(二)記載の原告らは、本件文書訓告撤回闘争の一環として右闘争に関する市職労の主張等を記載したチラシを福江市内各戸に配付するため同目録年休取得日時欄記載の日時に年休権を行使したと称して欠務したもので、右チラシ配付はいずれも一一月一六日及び二〇日に行われた各同盟罷業の前日行われ、同盟罷業の正当性を訴えて住民の非難を緩和し、同盟罷業を実施せしめた責任を市当局に転嫁することにより住民の非難を市当局に向けさせ、もつて市職労の要求や主張を貫徹せんとするにあり、チラシ配付行為は、争議行為の一環を形成するものであることからすれば、右年休権の取得がその制度本来の趣旨を逸脱するものであることは明らかである。

また、目録(三)記載の原告らは、市職労の指令に基づき同役員らに対する懲戒処分撤回闘争の一環として福江市役所正面玄関ホールに座り込むべく、同目録年休取得日時欄記載の日時に年休権を行使したと主張して欠務したもので、これまたその取得が制度目的に反するものであることは明らかである。

以上のとおり、目録(二)及び(三)記載の原告らの本件年休権の行使は、それ自体が違法な争議行為であるか、仮にそうでないとしても権利の濫用または信義則違反として適法な年休権の行使としての効果を発生しないものであるから、被告は給与条例一二条により右原告らに対する給与の減額を行つたものである。

四  被告の主張に対する原告らの認否

1  被告の主張1記載の事実中、前市長が、被告主張の日に、その主張のとおりの文書訓告をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

港勢調査は、漁業法に基づき農林水産大臣の指定を受けている全国の漁港につき昭和三六年以降続けられている水産庁の統計調査で、被告においても所管の産業経済課水産係において毎年七月から八月にかけ定期的に調査表を作成していたところ、前市長は昭和四九年一〇月一日右業務担当職員らが業務命令を拒否したとして右職員らに対して文書訓告を発令し、右処分問題につき産業経済課内では連日紛糾状態が続いたため市職労が事実調査をしたところ、(一)港勢調査においては統計操作が行われていること、(二)責任の分担上、港勢調査事務は係長以上が行うべきであるにもかかわらず、過去数年に亘り係員によつて事務がなされていること、(三)昭和四九年からは係長一人が担当する旨係員との間で合意ができていたにもかかわらず係員に対して事務処理が要求されていたこと、(四)右調査事務により係員は過重労働を強いられてきたこと、等の事実が判明した。そこで、市職労としては右訓告処分問題の真の原因は右の如き市当局の人事管理体制の不備にあると判断し、全職場で職場民生化についての討議をして検討したところ、問題は産業経済課のみにあるのではなく全職場にあることが判明したため、市当局に対し職場民主化(労働条件の改善)を求めて団交の申し入れを行つたが、市当局が不誠実な態度に終始したため市職労としては不本意ながら一一月一六日に始業時から一時間のストライキを行うことを決定し一一月一五日ストライキ宣言を発した。

2  同2(一)記載の事実中、原告ら自らも同盟罷業を行つたとの事実、団体交渉に関する事実を否認するが、その余の事実は認める。

当時、右の事態を解決するため全日本自治体労働組合(以下「自治労」という。)長崎県本部の書記長川原武徳が市職労にかけつけていたのであるが、同人は市職労役員とともに市長と団交して事態解決をはかろうと考え、一五日午後七時ころ前市長方に電話して団交を申し入れたが、前市長は「もう成り行きにまかせる。助役と話をしてくれ。」というのみであつた。川原はやむなく同日午後九時ころ助役に電話で話し合いを申し入れて祝市会議員とともに助役方に赴き事態の早期解決をめざして意見交換を行つたところ、助役は、川原及び市職労役員が一六日前市長と交渉できるよう努力するのでその場で事態解決につき話し合うよう要望したため、川原らはこれを了承した。翌一六日川原及び市職労役員が市職労書記局に待機していたところ、午前八時四〇分ころ助役から「市長が会いたがつている」旨の電話があつた。そこで、川原、祝、原告松本昌(市職労委員長)、同島悟(同書記長)、同富田定彦(同書記次長)の五名が市長室に赴き、八時五〇分ころからストライキ回避のため市当局側(市長、助役、総務課長)と交渉に入つたが、市職労は、右交渉を開始するにあたつて右三名の役員をストライキ要員から除外した。右交渉は始業時間前に開始されたことからも明らかなようにストライキ回避という労使双方共通の目的と緊急性をもつて行われたもので、ストライキの実施いかんは交渉の成り行きにかかつていたのである。そして右交渉は午前九時四五分に終了したが、終了後、原告松本が一般組合員に対し、市当局が一応交渉のテーブルについたことを報告し、市職労としては、事態が前進したことを評価して午前九時五〇分でストライキを終了させることとしたのである。

以上のとおり、右原告ら三名は、当初からストライキ要員からは除外されており、現実にもストライキには参加しておらず市当局と団体交渉を行つており、右団体交渉では大きな進展はみられなかつたものの、それがストライキ回避のためのものであることは明らかである。このような労使双方の利益のための団交に出席した者に対し、就労しなかつた故をもつて給与を減額することは、特例条例二条一号に違反するといわねばならない。

3  同2(二)記載の事実上、(1)のうち、目録(二)記載の原告らが、同目録年休取得日時欄記載の各日時に、年休を請求して勤務に就かなかつたこと、(2)のうち、前市長が被告主張の日にその主張のとおりの各懲戒処分を行つたこと、目録(三)記載の原告らが、同目録年休取得日時欄記載の各日時に、年休を請求して勤務に就かず、本庁正面玄関ホールの一部に座り込みをしたこと、(3)のうち、目録(二)記載の原告らの年休請求につき、被告がいずれも承認していたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

本件年休権の行使はそれ自体が違法な争議行為であるとの主張について

水産係職員三名に対する文書訓告に端を発した本件労使紛争につき、当時地元新聞が市当局の立場のみを擁護し市職労を非難攻撃する記事を連日掲載していたこと等の事情もあり、福江市民は事実を知らぬまま市職労及び組合員に対しその行動を非難するようになつたため、市職労としては、住民に対して一方的に植えつけられようとしている市職労及び原告ら組合員に対する誤解をとくための宣伝活動の必要にせまられることとなつた。そこで市職労は、組合員中、年休の残日数等の事由を考慮のうえ年休取得が可能な者につき一一月一五日及び一九日の二回に亘り何れか一回住民向けビラを全戸を対象に配付しながら住民教宣活動を行うこととして当日実行したが、そのための年休取得手続は通常の場合と全く変るところはなかつたのである。福江市における年休権行使の手続は、「福江市職員の勤務時間その他勤務条件に関する規則」「福江市役所処務規程」及び「福江市事務専決規程」において定められてはいるが、一方「福江市職員の出、欠勤及び休暇等の取扱い要綱」により「休暇等の取扱いに関しては、福江市役所処務規定にかかわらず当分の間この要綱によるものとする。」とされ、同要綱四条一項により「所属長は年次有給休暇の届出があつた場合はカードに記入し、確認する。」とされ、同条四項により福江市組織規則一六条の定めるところとされ、所属長不在の場合は課長補佐が代決することとなつている。しかし実際の年休処理手続は右要綱の定めるごとく必ずしも所属長が自ら年休カードに記入するのではなく、年休権を行使する職員が記入しそれを所属長が確認すること等のことでも行われてきたが、本件の場合も各職場で従来行われてきた年休処理方式に従い、所属長あるいは職員自らが年休カードに記入し所属長がこれを確認している。右年休カードへの記入時間も一五日の年休については一四日の午後四時すぎから退庁時五、六分前に、一九日の年休については同日午前中遅くとも正午までには行われ、この点も従来の年休権行使の実情と異なるものではなかつた。このようにして本庁各職場の組合員一八二名中、一五日には七七名が、一九日には七六名がそれぞれ年休を取得したが、組合員中二九名は右いずれの日も年休を取得しなかつた。市職労としては各日時に組合員の半数宛年休を取得させて住民教宣活動を行う予定であつたが、年休取得はあくまで組合員個人の判断に委ね、各職場においては各組合員の担当業務処理のうえで都合のつく者が年休を取得するということで、まず一五日の年休取得者が定まり、残る組合員の中で一九日の都合のつく者が当日年休を取得するというように、業務の都合を配慮しつつ年休取得者が定まつたため、前記の如く二九名が年休を取得しないとの結果が生じたのである。したがつて、原告らの年休権行使に対して適正な時季変更権が行使されれば、市職労、当該組合員ともこれに従い、同職場の他の者等をもつて住民教宣活動を行う方針であつたのである。

その後、文書訓告処分に端を発した労使間紛争は、一一月二二日労使間で合意に達して終結した。ところが、その後の一二月二七日前市長は市職労が文書訓告撤回闘争を行つたことを理由に市職労役員らに対し免職処分を含む懲戒処分を行つたため、市職労は懲戒処分発令に対する前市長の見解を明らかにすることを求めて団交を申し入れたが、市当局がこれを拒否し続けたため、市職労としては組合員の団結力を誇示して団交に応じさせようとし、組合員等による座り込みを決定し、昭和五〇年一月一三日から一八日まで(一五日を除く)市役所玄関ホール横でこれを実施したが、目録(三)記載の原告らは、右座り込みに参加するため同目録年休取得日時欄記載のとおり年休を取得したにすぎない。したがつて、年休を取得することにより業務の阻害をはかろうとの目的は、市職労にも個々の組合員にもなく、座り込みに参加する者も各課内で相談のうえ年休を取得しても業務阻害を生じない人に限定している。また、座り込みのための年休取得にあたつては、市職労が組合員に市当局の時季変更権を無視しても年休を取得するよう指令した事実は全くなく、各課で一割程度参加して欲しい旨の協力要請をしたにすぎない。

ところで、時季変更権を無視するような労働者の時季指定は、年休権の行使とはいい得ないとの理論は、使用者に時季変更権を行使しうる客観的条件即ち当該事業場の事業の正常な運営を妨げる事情がある場合を前提としたものと言わなければならないところ、本件座り込みのための年休取得の場合についてみれば、年休をとることによつて、その所属事業場の事業の正常な運営を妨げる事情はなく、したがつて、被告には時季変更権行使の余地はなかつたといわねばならない。

以上に述べたとおり、目録(二)及び(三)記載の原告らは、各年休取得日時欄記載の日時に市職労の要請によりあるいはビラ配付のため、あるいは座り込みのために利用する目的で年休を取得したにすぎず、被告の時季変更権を無視する意図もなかつたのであり、それ自体が争議行為であるとはいい得ないこと明らかである。

本件年休権の行使が信義則違反ないし権利の濫用であるとの主張について

年休の制度目的は労働者の心身を労働から解放することそれ自体であり労働者自身のための制度であつて、被告主張のように労働力の維持培養更には能率増進に求められるものではない。したがつて、その利用目的は使用者の干渉を許さない労働者の自由である。そして、休暇利用自由の原則は、休暇制度を認めても社会的・経済的に劣位にある労働者に対して優位にある使用者が、これに干渉し制限することのあつた歴史的事実に鑑み使用者の干渉を一切許さないために確立されるに至つたものであることの性質上、労働者が多数同時期に休暇をとつたり使用者がその労働力を最も必要とする時に当該労働者が休暇をとり、あるいは、休暇を作業能率低下に結びつく行為や使用者に敵対する行為に使用することは当然に予定されていることである。そしてこれに対する使用者側の対抗手段として時季変更権が認められているのであり、かつ、この限度においてのみ使用者の利益との調整がはかられているのである。したがつて、使用者としては、休暇の利用目的が使用者に対する敵対行為であるからといつてその効果を否定することは許されないのである。なお、目録(三)記載の原告らのした座り込みは、場所は来庁者に迷惑をかけないようにとの配慮から玄関ホールの片隅で行い、座り込みそのものも整然と行われ、市職労以外の労働者の支援を受けたけれども、支援労働者も単に座り込みに参加したにすぎないことから明らかなように、市役所内の業務に支障がないよう十分な配慮をもつて行われたものであり、市職労の団結権誇示のためのもので表現の自由の一態様である示威行為にすぎない。

五  原告らの反論

仮に目録(三)記載の原告らの年休権の行使が争議行為と評価される余地があるとしても、以下の事情の下で被告が年休の効果を否認することは信義則に違反する。

右原告らの座り込みのための年休権の取得に際し、被告はそれと知りながら時季変更権を行使せず各所属長は積極的に右原告らの年休権の行使を承認し何らの手段も講じることなく五日間に亘る原告らの行動を放任した。右原告らとしても過去において何度となく右と同様の行動をとりながら何ら問題とされなかつたことから、本件においても年休の効果を否認され給与を減額されるということは全く予想していなかつたのである。

六  原告らの反論に対する被告の認否

争う。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因事実(但し、原告植村広美に対する目録(二)記載の未払給与額は三、七六四円の限度である。)は当事者間に争いがなく、原告植村広美の目録(二)記載の主張額三、七六七円を認めるに足る証拠はない。

二  前市長が、昭和四九年一〇月一日福江市産業経済課長平山久志、同課長補佐兼水産係長日高宏、同係員富田定義(原告3)、同椿山久義、同岩村光尉(原告78)を文書訓告したが、これは同年七月実施の漁港港勢調査事務につき富田ら係員三名が上司の職務命令を受けながらこれを拒否し調査事務に従事しなかつたため行われたものであること、原告らの所属する市職労が、同年一〇月二九日臨時大会を開催して右水産係員三名に対する文書訓告撤回闘争を行うことを決定し、右闘争のため設置された闘争委員会が、同年一一月上旬闘争手段として一一月一六日始業時より一時間、同月二〇日午前中半日のストライキを行うことを決定し、同月一五日組合員集会を開いてストライキ宣言を発したこと、市職労は、一一月一六日始業時より一時間のストライキを実施したが、組合員約一七〇名がこれに参加し、始業時の午前九時から九時五〇分まで職務を放棄して同盟罷業を行つたこと、原告松本昌は市職労の執行委員長、同島悟は同書記長、原告富田定彦は同書記次長として右争議行為を指揮したこと、目録(二)記載の原告らが、同目録年休取得日時記載の各日時に、年休を請求して勤務につかなかつたこと、被告が右年休の請求についてはこれを承認していたこと、目録(三)記載の原告らが、同目録年休取得日時欄記載の各日時に、年休を請求して勤務に就かず、本庁正面玄関ホールの一部に座り込みをしたことは、当事者間に争いがない。

1  港勢調査及び文書訓告に至るまでの経過

成立に争いのない甲第九号証の一、二、第一〇号証、第一三号証の一、二、第一五号証の一ないし五、証人日高宏、同平山久志、同山口一之、同二里昌男の各証言、原告松本昌本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

(一)  福江市においては、昭和三六年から水産庁の実施する統計調査の資料に供するため、毎年七月から八月にかけて福江市にある一八の漁港について港勢調査を実施してきたが、右港勢調査に際し、福江市の立てた漁港整備計画の推進にあたり国の補助金交付を容易にするため調査実数をある程度操作する等のいわゆる調整作業を行つていたため、右港勢調査事務の内容が複雑化、煩雑化し、事務量も厖大なものとなつていた。

(二)  このため右事務を担当する産業経済課水産係内部において、右事務の内容の重要性に照らし係長が責任をもつて処理すべきであるとの見地から昭和四七年度分は係長であつた山口一之が主体となつて右港勢調査事務を処理し、昭和四八年四月同人は後任者である日高宏に水産係長の事務引き継ぎをなすにあたつては、とくに重要な港勢調査事務の内容等を説明し厖大な量の資料等も引き継いでいたが、昭和四八年度分の港勢調査については新任係長の日高宏が事務に不慣れであることを理由に、水産係内部で話し合つた結果、係員岩村光尉、同富田定彦が主力となつて日高係長と三名で右事務を処理したが、このころ、日高係長は、右係員らに対し、次年度からは、係長である自分が主力になつて計画的に右事務を処理すべき旨約束していた。

(三)  ところが昭和四九年度の港勢調査事務について係長日高宏が約束に反して率先して主体的に取り組まなかつたことから、水産係内部で港勢調査事務の分担について紛糾し、その事務が停滞したため、前市長が水産係員富田定彦、同横山久義、同岩村光尉の三名を直接二度にわたつて市長室に呼び事情を聴いたうえで、港勢調査事務の処理にあたるよう職務命令を発するなどしたが、右係員ら三名は、実数調査だけならば行うとして、市当局の期待する調整作業には非協力的な態度を固持した。

(四)  このため前市長は、昭和四九年一〇月一日付で、懲戒処分には至らないが、任免権者としての一般的な監督権の発動として、注意を促すため、港勢調査の主管課長平山久志、主務係長日高宏に対して、水産係内部の職場規律の乱れを招来した監督責任並びに職務怠慢を理由として訓告書を発するとともに、前記三名の水産係員に対して、地公法三二条及び三五条に違反するとして訓告書を発し、もつてそれぞれ文書訓告をなした。

2  文書訓告に対する市職労の対応

成立に争いのない乙第三ないし第六号証、第九号証、証人荒尾正実、同二里昌男、同貞方善市、同塩塚久雄の各証言、原告松本昌本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一)  市職労は、昭和四九年一〇月二九日臨時大会を開催し、水産係員三名に対する文書訓告の撤回を求めることを主眼としあわせて職場の民主化等を主張して、闘争宣言(乙第三号証)を採択した。

(二)  また市職労は、文書訓告が発された後この問題につき職場討議を重ね、各課長らの見解を質すため、例えば総務課長荒尾正実については一〇月一二日、一一月一日、八日、一三日の四回に亘り、約三〇名から九〇名の組合員が同人を取り囲み、一時間二〇分から三時間に及んで抗議行動を行うなどして、各管理職に対し一〇月から一一月にかけて、のべ一六回、一回につき三〇名ないし一五〇名の組合員が抗議行動に及びその間各管理職は執務不能の状態に陥つた。とくに産業経済課長、水産係長に対する抗議行動が最も規模が大きく、一一月二〇日には一五〇名の組合員(本庁全職員二三〇名、組合員一八〇名)が九時間に亘つて抗議行動を行つた。

(三)  この他市職労は、出張・外勤拒否や、時間外勤務拒否、腕章着用、早朝集会などを闘争戦術として採用し、労使関係が紛糾していたため、一一月三日開催の福江市の市制二〇周年記念式典の準備に、市職労の協力を得られないと判断した市当局が、消防団に式場設営を依頼し、同式典で永年勤続表彰を受けるべき職員のうち組合員が欠席するなどした。

(四)  このような状況の中で、数回開かれた団体交渉も、職場民主化要求は管理運営事項であつて団体交渉の対象とはならず、文書訓告も撤回には応じられないとする前市長の態度が強く、交渉は短時間で物別れとなつていた。

(五)  そうして、昭和四九年一一月一五日、市職労は、文書訓告の撤回とともに、情実・選挙功労などにより人事を私物化することを一切廃絶し、明朗かつ適正な人事に改めること、課長・係長は職員の推せんとし、それを尊重して任命すること、補職制度を再検討し、縮小を図ること、課長・係長以外の補職は全廃すること、権力・命令による前近代的な運営を排し、話し合いによる民主的職場運営を確立することを市当局に対し要求し、これに対し市当局が誠意ある回答を示さない場合には、組合員二四〇名の総意に基づき、一一月一六日始業時から一時間、一一月二〇日午前中半日のストライキを決行する旨決議し、不当処分撤回職場民主化闘争スト宣言集会の名の下にストライキ宣言を発し(乙第四号証)、同日前市長宛に右ストライキの日時、ストライキの際には保安要員は残さず、住民・管理職以外は庁舎内に入れない旨等を記載したストライキ通告書(乙第五号証)を発した。

3  目録(一)記載の原告らの行動について

証人川原武徳の証言(第一回)、原告松本昌本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一)  前示のような文書訓告をめぐる労使間の紛争状況の中で、市職労の加盟している上部団体である自治労長崎県本部から書記長川原武徳が、昭和四九年一一月一五日夕刻、市職労支援のため、福江市に到着し、組合側の団体交渉要求になかなか応じようとしない前市長宅に直接電話を入れてストライキ回避のための話し合いを申し入れたところ、前市長から江口助役と話をするように言われ、同夜九時頃助役に電話を入れたのち助役宅に、自治労長崎県本部役員であり福江市議会議員でもある祝厳吉と帯同して訪れ、江口助役と面談した結果、ストライキに突入する翌朝にとにかく市職労幹部が前市長に会えるようにするとの約束を得た。

(二)  そこで翌一六日早朝から市職労執行部役員と川原武徳、祝厳吉が待機していたところ、午前八時四〇分ころ江口助役から市長室へ来るようにとの電話連絡が入つたので、市職労側から執行委員長原告松本昌、書記長同島悟、書記次長同富田定彦(以上目録(一)記載の原告三名)が、八時五〇分ころ市長室に行き、九時四〇分ないし四五分頃まで前市長と話し合いを行つた。

(三)  この話し合いには、川原武徳、祝厳吉も同席したが、席上、前市長は人事異動を行うとして暗に日高宏水産係長の異動をほのめかしたので、市職労側は一応前市長が交渉のテーブルについたと判断した。そこで執行委員長松本昌は、右交渉が終了するやストライキ終了予定時刻の午前一〇時を待たず、直ちに、福江市役所前広場に集結していた同盟罷業参加組合員一七〇名に対し、九時五〇分をもつてストを解除する旨の指令を発し、同日のストライキは午前九時から五〇分間で終了した。

(四)  なお右五〇分間の同盟罷業参加者については、昭和四九年一二月二七日賃金カツトがなされた。

以上の事実が認められ、証人二里昌男の証言中、右の前市長との話し合いがスト突入時刻より一〇分間早く開始され、その時点において前記三名の原告はストライキ要員から解除された旨の供述部分は、証人川原武徳の証言(第一回)によれば、ストライキ中の団交にあつては、団体交渉に出席する組合員をとくにスト要員からはずすことはしないのが通常であるというのであるから、にわかに措信し難く、他に本件において目録(一)記載の原告ら三名が同盟罷業に参加しない意思を表明しあるいは市職労においてとくにストライキ要員からはずすといつた明確な表示があつたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

4  目録(二)記載の原告らの年休権行使について

(一)  成立に争いのない甲第六号証、乙第六号証、証人二里昌男の証言、原告松本昌本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

市職労は、本件文書訓告撤回闘争に際し、組合規約に基づき拡大闘争委員会を設置し、そこで、一一月一二日頃、市当局及び新聞報道による一般住民への一方的とも思える組合批判に対抗するため、福江市民に対し組合の立場を説明する教宣ビラを配布する旨を決定し、その配布にあたつては組合員に協力を要請することを話し合い、福江市職員情報ナンバー16(一九七四年一一月一五日付、福江市職教宣部作成ビラ、乙第六号証)を組合員に配布して、組合員に対し、一一月一五日午後五時から開催予定のスト宣言集会への参加を呼びかけるとともに、その中で、「『住民ビラ配布について』住民への教宣ビラが完成しましたので、本日五割程度の休暇者で、全世帯のビラ配布を消化したいと思いますので、協力をお願いします。」との記事を掲載して、組合員の協力を呼びかけた。

(二)  前記(一)に挙示した各証拠並びに成立に争いのない甲第二ないし第五号証、証人二里昌男の証言により真正に成立したと認められる甲第七、八号証、証人塩塚久男の証言により真正に成立したと認められる乙第七号証、証人荒尾正実(後記措信しない部分を除く)、同岩井源次郎、同貞方善市、同大石登、同平山久志、同平山幸雄、同塩塚久男、同中村静夫、同三藤寅吉の各証言、原告榎並正徳、同塚本武勇、同中村利男、同有吉英一郎、同手島仁助の各本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

(1) 福江市における年休の取得手続は、福江市処務規程二九条によつて、所定の様式に従つて予め休暇願を提出し市長の承認を得るように定められているが、実際は、当分の間、福江市職員の出欠及び休暇の取扱い要綱に従つて、職員が年休を受けようとするときは、所属長(各課長、各事業所長)を経て市長の承認を受けなければならないとされており、所属長が一人一人についての休暇等カードに必要な事項を記入することとされており、福江市役所内の各課、事業所において、職員が年休を取得するに際しては、だいたい前日の退庁前に口頭で所属長に申出で、所属長がカードに記入して確認するかあるいは職員自らが自己の休暇等カードに必要事項を記入して所属長に提出しこれを所属長が確認するなどの方法によつて年休が取られていた。また、場合によつては年休当日の朝電話あるいは友人等を通じて年休の申出でをするなどの方法がとられて、処理されていた。

(2) 市職労は、住民への教宣ビラ配布については、前記(一)記載のとおり教宣情報紙をもつて協力を呼びかける一方、代議員、職場委員が各別に各組合員に協力を要請し、各組合員で大まかな地域割を定めて互いに分担して配布することにし、一一月一五日には同日付「市民のみなさまへ 真相を知つていただくために」という表題で組合の主張を記載した赤色ビラ(甲第七号証)を、同月一九日には同日付「市民のみなさまへ わたくしたちの行動について協力を」という表題のビラ(甲第八号証)を住民に配布したが、これは目録(二)記載の原告らが各自当該欄記載の時間の年休を請求してその時間内に主に各自の居住地や出身地の各町内等の配布分担区域を定めて、その地域内の住民に面接のうえ事情を説明し、あるいは留守宅の郵便受けや玄関先に投入して、組合教宣ビラとして、福江市内の離島を含む全世帯に配布したものである。

(3) 右のビラ配布に先だち、市職労の協力要請に応じた組合員は、目録(二)記載の原告らを含め、第一回目の一五日は七七名で、ビラ配布作業は大体一日もかからず数時間で終了したこともあつて、第二回目の一九日には半日(但し、離島の久賀島を担当した原告手島仁助らは一日)で十分配布可能ということから、午後半日の年休を取得するように指導し、同日は一五日の配布を担当しなかつた者ら七六名であつた。

(4) 結局、一五日、一九日のビラ配布は、組合員の四割程度ずつが参加したが、これに先だつ年休の請求にあたつては、各人が所属長に申出で、あるいは自らカードに記入して提出し、あるいは課毎に組合の職場委員がとりまとめて提出するなどの方法で請求手続をなした。なお水道局にあつては、一五日、一九日いずれも六名が年休をとつてビラ配布作業を行つたが、一五日分の年休については一四日五時半ころ所属長である水道局長塩塚久男が外勤から役所内へ戻つたところ机上に六名分の休暇カードが提出してあつたが、一九日午後半日分の年休については、当日午前中に一―二名が直接口頭で年休の申出でをなすのを受けた。

(5) しかして、右各年休請求にあたつては、市職労の各職場委員がまとめ役になつて、年休日数に余裕があり事務に差支えのない者が自主的にビラ配布のための年休を取得するべく話し合いのうえ、人選、担当地域等を決定したが、年休取得手続じたいは通常と変わらない方法で請求がなされたため、各年休の請求及びこれに対する所属長の確認の段階においては、各所属長及び福江市当局において、「事業の正常な運営を妨げる場合」(労働基準法三九条三項)に該るとして、時季変更権を行使するなどは一切なされなかつた。

(三)  さらに証人川原武徳の証言(第一回)によれば、市職労の上部団体である自治労長崎県本部からは、年休を取得してビラを配布すべき旨の指令等は一切発せず、これについて後日なされた本件給与減額分について右県本部からの救援等もなされていないことを認めることができる。

しかし、証人荒尾正実の証言中、本件ビラ配布のための年休請求が退庁間際にまとまつてなされたため、時季変更権を行使するいとまがなかつた旨の供述部分は、同証人は、成立に争いのない甲第一九号証の一、二によれば昭和四九年一一月一四日及び一五日は長崎市へ出張していたため不在であつたのであるから、にわかに措信しがたく、また、同証人の証言中、右年休権の行使が市職労の指令に基づくものであるとの供述部分は、右認定事実に照らして措信することができず、他に前記認定に反し、目録(二)記載の原告らが、市職労の指令ないしは指名に基づき、本件教宣ビラ配布のための年休請求に際して、仮に時季変更権を行使されたとすればそれを無視し、あるいは時季変更権の行使じたいを困難にするといつた意図のもとに、業務の正常な運営を阻害する目的をもつて年休権を行使したものであると認めるに足りる証拠はない。

5  目録(三)記載の原告らの年休権の行使について

成立に争いのない乙第九号証、証人塩塚久男の証言により真正に成立したと認められる乙第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一〇号証、証人荒尾正実、同塩塚久男、同二里昌男(後記措信しない部分を除く。)、同川原武徳(第一回)の各証言、原告松本昌本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一)  前記のような港勢調査に関する文書訓告問題に端を発した福江市役所の労使間紛争は、一一月一六日の午前九時から五〇分間のスト(参加人員一七〇名)、一一月一九日の午前九時から三〇分間のスト(但し、これは自治労の全国統一ストで本件文書訓告撤回闘争とは直接関係ない。)、一一月二〇日午前中半日のスト(参加人員一九〇名)を経て、一一月二二日、市当局が文書訓告を口頭訓告に切り替えるということで合意がつき、紛争は一応終結した。

(二)  しかし、前市長が、昭和四九年一二月二七日、目録(二)記載の原告らに対するビラ配布のための年休について賃金カツトを行うとともに、市職労執行委員長(原告松本昌)、副委員長、書記長(原告島悟)の三名を免職、書記次長(原告富田定彦)を停職六か月、執行委員七名を停職三か月とする懲戒処分を行つたことから、一旦収拾したかに見えた紛争が再燃し、市職労は、右懲戒処分の撤回を求める抗議行動を行うこととし、処分の翌日である一二月二八日全員集会を開催した後、前市長に処分書を一括返上し、右懲戒処分の撤回闘争を開始し、自治労長崎県本部も、年明けとともに県下からオルグ団を派遣し、現地に不当処分撤回闘争本部を設置して支援態勢に入つた。市職労は、自治労長崎県本部の支援のもとに、昭和五〇年一月四日に不当処分撤回闘争決起集会をひらき、同月七日前市長と交渉を行い、右懲戒処分の不当と撤回を求め追及したが、前市長がこれを撤回しないとの態度を示し、その後の交渉の申し入れに対しては一切応じない態度を固持したため、闘争を強化する方針を決め、右懲戒処分撤回を貫徹するため、本庁勤務の組合員の一割休暇戦術をとり、数日間にわたつて半日交替で、本庁玄関ロビーに座り込みを行うこととし、一割の人選については職場委員に委ね、同月一三日(月曜日)から一八日(土曜日)にかけて祝日である一五日を除く連続五日間、目録(三)の記載のとおり原告らが職場委員の指名に基づき、交替で午前あるいは午後半日ずつの年休を請求したうえで、午前午後あわせて一三日には二五名、一四日には二七名、一六日には三五名、一七日には二九名、一八日には二〇名の組合員のべ一三六名が座り込みを行つた。

(三)  右座り込み場所は、福江市役所庁舎内の一階玄関を入つてすぐ右側のホール南東、柱の横で水道局窓口手前の一画で、縦一・五メートル、横二・五メートルの広さの範囲内で、座り込みの規模は、市職労本庁勤務組合員(原告ら)一〇名余、他の組合などからの支援者一〇名余で常時二〇名ないし三〇名が座り込みをなしていた。

(四)  右座り込みに参加した目録(三)記載の原告らは、一割休暇戦術として交替で年休を取得することとし、座り込み参加に先だち各自通常の手続に従つて年休請求をなしたが、各所属長がこれに対し時季変更権を行使することはなかつた。

以上の事実が認められ、証人二里昌男の証言中、座り込みの目的は団体交渉の再開要求と団結権誇示のためである旨の供述部分は、前掲乙第八、九号証、右認定にかかる不当処分撤回闘争に至るまでの経緯及びその態勢に鑑みれば、座り込みの目的が単に右の如き要求、示威にとどまつていたとは到底措信することができず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

三  以上の事実のもとに、被告の原告らに対してなした給与減額の適否について判断する。

1  目録(一)記載の原告らに対する給与減額について

前記二の1ないし3記載の認定事実によれば、右原告ら三名が昭和四九年一月一六日九時から九時五〇分まで勤務に就かなかつたことは明らかであり、右原告ら三名が前市長と交渉をしていた時間、同時に同盟罷業をなした組合員一七〇名については一律に賃金カツトがなされており、右原告ら三名も前市長が交渉に応じなければ当然同盟罷業に参加し、むしろこれを指揮する立場にあつたもので、とくにスト要員からはずす措置がなされたことは認められないのであるから、被告の右原告ら三名に対する給与減額が特例条例二条一号に違反し、違法であるとは認められない。

2  目録(二)記載の原告らに対する給与減額について

(一)  地方公務員である原告らは、労働基準法三九条の適用を受けるもの(地方公務員法五八条三項、同法五七条・地方公営企業労働関係法附則四項・地方公営企業法三九条一項参照)である。したがつて、原告らが、労基法三九条に基づき、その有する年休の日数の範囲内で、始期と終期を特定して休暇の時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつこれを理由として被告が時季変更権の行使をしないかぎり、右の指定によつて年休が成立し、当該労働日における就労義務が消滅するものと解すべきである。

ところが、前項4記載の認定事実によれば、右原告らは従来どおり通常の方法によつて年休を請求して、休暇の時季指定をなしたことが是認でき、しかも、被告において右年休の請求につき承認をしたこと(被告による時季変更権の不行使の意思表示をした。)は当事者間に争いのない事実であるから、右原告らの年休は成立したといわねばならない。

(二)  しかるところ、被告は、右原告らの年休の時季指定の形式による不就労は、それが労働組合の主張を貫徹する目的で、その統制のもとに一斉に行われ、業務の正常な運営を阻害するものであつたから、その実質は同盟罷業等の争議行為にほかならず、本来の年休制度の趣旨からはずれるものであつて年休は有効に成立せず、右原告らは、右不就労の日または時間についての賃金請求権は有しないものと解すべきである旨主張するので考えるに、年休の利用目的は労基法の関知しないところであり、労働者は自由にその休暇を利用することができ、かついつにでも休暇の時季指定をできるのであつて、いつ休暇をとつてそれをどのように利用しようが例えば個人的用務に使おうが、組合活動(尤も、争議行為に至らない活動すなわち当局との交渉、組合の情宣活動、諸会合への参加等)に利用しようが全く労働者個人の自由に委ねられているのであつて、使用者としては労働者が指定した時季に休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合において、いわゆる時季変更権を行使することができるにすぎないのであるが、労働者の年休権行使の形式による不就労とはいえ、労働者が、その主張を貫徹することを目的とし、そもそも使用者の時季変更権を無視し、集団的に職場を離脱し、業務の正常な運営を阻害するものは、年休をとつて職場を離脱すること自体が争議行為となつているから、年休の成立する余地はなく、労働者は不就労の日または時間について賃金請求権を有しないと解するのが相当である。

右の見解のもとに年休権の行使が実質的な同盟罷業等の争議行為であるか否かの判断に際しては、(1)休暇届提出者の比率、(2)届け出られた休暇の期間、利用内容、(3)現実の業務の正常な運営の阻害の程度、(4)届け出の時期、態様、時季変更権の行使の難易等を考慮して客観的に決すべきものである。

そこで、前項1、2、4記載の各事実のもとにおいては、原告らの不就労は、福江市役所本庁職員二四〇名中の七〇名余が一斉に年休を取つたのであるから、業務の正常な運営を妨げたことは明らかといわざるをえないが、右休暇の利用目的及び内容は、当時文書訓告をめぐつて紛争状態であつた福江市役所内における市職労の立場として、ストライキ前日に福江市民に対し教宣ビラを配布し市民の理解と協力を得るためになされたのであるから、究極的には被告と対抗関係にある市職労の主張を貫徹することに役立つものであるが、直接的に被告に対し主張を貫徹することを目的とする行為とは解されず、市民を対象とする組合教宣活動であつて、右原告らの年休の時季指定も市職労の指令、指名に基づくものでなく、市職労の呼びかけ、要請に応じて、その手続も通常と変わりなく行われ、時季変更もなされなかつたのであり、右原告らの不就労が年休に名を藉りた実質的な同盟罷業等の争議行為に該ると認めることができない。

また、同様にして、右原告らの年休権行使が権利の濫用にあたるとはいまだいいえない。

してみれば被告は、右原告らに対し、目録未払給与欄記載の金額(但し、原告植村広義分については三、七六四円)の賃金の支払義務がある。

3  目録(三)記載の原告らに対する給与減額について

前項5記載の認定事実によれば、右原告らは、所定の方法によつて年休を請求して、休暇の時季指定をなしたが、被告において時季変更権を行使しなかつたことが是認できるから、右原告らの年休は成立したものといわねばならない。

ところが、被告は、前同様右原告らの年休による不就労は争議行為にあたるとして年休の効果を否定し、賃金の支払いを拒絶する旨主張するが、前記見解のもとに、右原告らの年休取得による不就労が争議行為にあたるか否かを判断すべきところ、前項5記載の認定事実のもとにおいては、市職労は、不当懲戒処分撤回の目的を貫徹するため、一割休暇戦術をとり、右原告らは、市職労の指名に基づき、祝日をはさんだ連続五日間、半日交替で一〇名余の組合員が順次年休の請求をして職場を離れ、外部団体からの支援者らとともに、常時二〇名ないし三〇名の構成でもつて、使用者たる福江市の管理する施設である福江市庁舎内で、住民の出入りも多い玄関ホール脇の一画に、市職労の主張する懲戒処分撤回を貫徹する目的のもとに座り込みを行い、業務の正常な運営を阻害したことが首肯できるので、参加人員が半日毎に本庁勤務の組合員の一割弱であつたとして、右原告らの不就労はいわゆる部分ストとして違法な争議行為というべく、したがつて、被告が時季変更権を行使していなかつたとしても、被告は、右原告らの年休の効果を否定し、原告らに対し目録(三)未払給与額欄記載の賃金の支払義務はないということができる。

なお、右原告らは、被告が右年休の効果を否認することは信義則に違反すると主張するが、仮に右原告ら主張の事実があつたとするも、被告が右年休の効果を否認することが信義則に違反するとは解することができず、右主張は採用できない。

四  結論

以上の次第で、目録(二)記載の原告らの本訴請求は、同目録未払給与額欄記載の金員(但し、原告植村広美については三、七六四円とする。)及びこれに対する昭和五〇年三月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、右原告植村広美のその余の請求及び目録(一)、(三)記載の原告らの本訴請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立は相当でないから却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 鐘尾彰文 加藤誠 吉田京子)

(別紙省略)

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